今日読売新聞の発言小町を読む機会があって、その発言の中にいわゆる「死語」のことを書いてありました。
私はこの死語というのは一時期はやり言葉でたくさんの人が使っていたが今はもう使われていない言葉と思ってたのですが、発言を読んでいる限りではどうもそうではないようです。
一昔、二昔前には使われていた言葉を「死語」として挙げている人が多い。
例えば、衣紋掛け、外套、水屋・・・。おいおい、これって死語なの??。別に昔使われてた言葉で今は使われていないかも知れないが死語はないでしょう!!
日本語は曖昧さを良しとする言葉です。そこで同じ言葉であってもいろんな言い方があり、それを味わいとしているんだと思います。例えば英語で「I」と書くと辞書で調べると「私」になります。がその状況、年代、性別などの違いでたくさんの言い方が日本語にはあります。
また「take a walk」=散歩するなのですが、私が知っているだけでも「散策する」とか「そぞろ歩く」という言葉があります。こういう言い回しというか類義語というかは日本語にはたくさんあるんです。
他の言語にどれほどあるかは調べてはないですが、日本語はかなり多い部類と確信しています。
こういうことを学校教育ではやらないんでしょうか?。私自身、学校でそういう教育を受けた記憶がありません。類義語は小説の乱読で覚えただけです。でも日本の将来を考えたとき、日本語が満足に使えない日本人が増えるというのはなんか恐ろしいと感じてしまいます。
たまたま今の仕事で報告書とか申請書を作成する機会が多いからこう思うのかも知れません。でも今の大学生を相手にすると、言語明瞭意味不明な文章をたくさん読まされることが多い。
こういう学生を企業が高い金を払って教育していかなければならないと思うと、中小企業こと零細企業では新卒を雇うことはかなりリスキーなんだと感じてしまいます。
なんだかなぁ・・・・・(^^;