« スパムメールの被害? | メイン | 仕事の配分は? »

三審制度、死刑

 20日、光市の母子殺害事件の裁判で最高裁が審理差し戻しを決定しました。
 そのことについてブログや掲示板でいろんな意見が出ています。
 殺された被害者や残されたご主人の気持ちは想像できないです。

 あまりにも残虐な犯行であり、死刑は当たり前と思う反面、裁判で犯人を死刑にしていいのか?という気持ちもあり、非常に複雑な気持ちです。私はこういう残虐な事件を起こした犯人に対しては、死んだ方がましと思える仕打ちを、犯人が死ぬまで、するほうがいいんじゃないかと思ってるんですね。自分が犯した罪の重さを知るための死刑というは安易な方法ではないかと思ってしまう。

 CSで見たアメリカのテレビ番組なんですが、警察官が死刑制度について話していました。そこでの会話が頭に残っています。レイプ犯を死刑にするかどうかなんですが、一人の警官(女性)は「現行犯だったらその場で撃ち殺す。が後で逮捕されたのなら死刑は・・・」というものでした。その場の感情を否定しないけど、裁判で死刑にするのはどうも抵抗感があるみたいです。
 また、スタートレックDS9というテレビ番組で、ある惑星では犯罪をおかしたものにはその罪の大きさに応じて、何十年と刑務所で過ごしたという仮想体験をさせます。目が覚めてもその仮想体験は本物であると思わせるという。
 当然、SFの話ですから今そんな技術があるわけがないんですけどね。死刑よりもそっちのほうがよっぽどいいような気がして・・・。

 死刑制度を仇討ちに代わるものであると言っている人がいます。これにはどうも賛成できない。確かに遺族の気持ちを斟酌するならばそういう観点も否定できなくはないんですけど、なんか違うんじゃないと、明確な理由はないんですが、思ってます。

 それとこの裁判、1999年におこった事件が最高裁で判断が下されるまでに7年かかっています。これを早いと思うのか、遅いと思うのか!?。どこかで読んだのかな?、未成年の内に結審していれば、差し戻すことはなくて無期懲役が確定していたんではという話がありました。

 ハムラビ法典では「目には目を、歯には歯を」とあります。聖書には「だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。」とあります。どちらも真理なんでしょう。私の中では、人を殺した者を、合法的にでも、殺すというのはなんか違うような気がしてしかたがない。

 自分の心の中でも整理できていないことを文章にするのはキツイなぁ(^^;。とはいえ、書かなくてはいけないんじゃないかという気持ちになったことは間違いないんです。このブログを何年か後に、もしくは加害者・被害者の立場になったときにどう変化しているかは神のみぞ知るんですが。

 しまりのない文章でごめんなさい。
 遅ればせながら、お亡くなりになった奥様と子供さんのご冥福をお祈りしております。

トラックバック

このエントリーのトラックバックURL:
http://www.officedora.com/mt/mt-tb.cgi/943

コメントを投稿

(いままで、ここでコメントしたことがないときは、コメントを表示する前にこのブログのオーナーの承認が必要になることがあります。承認されるまではコメントは表示されません。そのときはしばらく待ってください。)

About

2006年06月22日 16:11に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「スパムメールの被害?」です。

次の投稿は「仕事の配分は?」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Creative Commons License
このブログは、次のライセンスで保護されています。 クリエイティブ・コモンズ・ライセンス.
Powered by
Movable Type 3.35