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日経ITPlusのコラム「ガ島流ネット社会学」に「「ネット君臨問題」が明らかにしたもの(後編)・嫌悪感の源泉はどこに」が掲載されました。前編が掲載されたときからこのコラムは注目していました。
このコラム(前後編)はマスコミとネットユーザの意識の乖離を取り上げています。
ある事件が発生し、それをマスコミが伝えます。その内容は記者の主観というバイアスが掛かっています。インターネットが発達する以前はそのバイアス自体気が付かなかったはずです。ところが、今は取材された側から報道内容について反論することができるようになりました。記事では
--------------- 引用開始 ---------------
リテラシーの高い読者は、新聞の連載を読み、取材された側の反論を読み、さらに、この問題について言及しているブログや記事を読み、総合的に判断して結論を導き出す。「本当のこと」が何なのかはプロの記者ではなく、読者が判断することなのだ。--------------- 引用終了 ---------------情報源が新聞やテレビなどマスメディアのみだった時代であれば、記者が「本当のこと」を提示すれば、人々の多くが信じたかもしれない。しかし、今やそのような手法は、一歩間違えばフレームの押し付けとみなされる。記事の切り口、タイトル、取材源、座談会の人選…。記者や新聞社が提示するあらゆるフレームやアジェンダ設定が疑いの対象になる。
ネットユーザーにとっては、記者の言う「本当のこと」や「正しいこと」は、一つのものの見方に過ぎない。繰り返すが、既存マスコミはメディアの変化を理解したつもりでも、その本質には気付いていないのではないだろうか。
(中略)
メディアが貴重だった団塊世代はマスコミの主張をほぼ額面どおり受け取るが、1980年代に新人類と呼ばれた世代の子供たちである「新人類ジュニア」はそもそもマスコミの情報を疑ってかかっている。
「ネット君臨」は新聞での切り口、論調をそのままネットに当てはめた。新聞の読者は中高年が多いが、ネットは30代から20代が中心だ。電通総研の分析が正しいとするなら、ネット上の反応は「予想通り」とも言える。
しかし、既存マスコミが情報発信はマスコミによってのみ行われると考えてしまえば、「新聞で書けばオーソライズされるはずだ」という思い込みが生じる。そして、マスコミが設定した「マス」ではない考えやギャップを否定するために「摩擦」が起きてしまう。
ネットによって個人が自由に情報発信できるようになり、多様な言論、考え方が顕在化した。それによって、マスコミのアジェンダ設定力は従来に比べて相対的に低下しつつある。マスコミのネットへの嫌悪感、感情的な批判は、その焦りの裏返しと言えなくもない。ネット君臨をめぐる議論のすれ違いは、日本における従順な「マス」という大きな幻想が消えかかっていることを示しているのかもしれない。
とあります。まったくもって同意。本当にそうだと思います。
このようなことは、マスコミだけの問題ではありません。これまで常識と思っていることが今日から間違いだとなったとき、それを簡単に受け入れることができる人はまずいません。でも実は今日から急に間違いになったのではなく、その兆候を否定し続けていたんですが
経営者が今までやってきたことを、他人から否定されたら・・・。時によっては否定する立場にあるのがコンサルタントです。でもそれを受け入れなければ、企業は衰退していく可能性が高い。否が応でも受け入れてもらいたい。それをどう説得すべきか、いつも悩んでいます。