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もう飽きてきたような話題になってしまいました。まあこれが最後ということでご容赦を。IZAの【大丈夫か日本語】シリーズ最終回『感想文に「ヤバイ」 教育からのアプローチ』。私はもう6年近く大学で1コマだけ講義を受け持っていて、毎年レポートを書かせています。このレポート、読むのが大変なんです。何が言いたいのがさっぱりわからない(私も学生時代に書いたレポートはそんなもんだったと恩師から突っ込み入れられそうですが)。レポートというのは、客観的事実に自分の考察を交えて、結論を出すものなんですが、その結論の文章たるやひどいものです。まあ結論を書いてあればまだ良い方なのかも知れません。レポートの書き方を知らない学生の多いこと。毎年第1回の講義の時に、レポートの書き方を指導するのですが、まずその通りに書いてきた学生は今のところいません。
その講義の中で印象的な会話があります。講義を始めて1・2年したときでしょうか?、その年の最終講義が終わったあと、レポートを回収していたのですが、そこに学生が教卓のほうにやってきて一言「むずい」。そう言い放って彼は教室を出て行ったと記憶しています。この「むずい」というのは難しいってことですね。彼は「先生の講義は難しくて、さっぱり判らない」とでも言いたかったのでしょうか。主語もなしに「むずい」だけでは意味が通じないことが、彼には理解できていなかったのか、それとも捨てぜりふだったのか。
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ある公立高校教諭の経験は象徴的だ。20年以上前から年に一度、クラス全員の前で書道の実技を披露する授業を行ってきた。人前での発表は緊張を強いられる貴重な経験のはずだ。だが、授業の後に提出させる感想文に、最近は判で押したように「ヤバイ」という言葉が並ぶようになったという。----------- 引用終了 -----------10年ほど前までは違った。「頭が真っ白になった」。「口から心臓が飛び出そうになった」…文面はバラエティーに富んでいたという。
「表現したいという気持ちは強く持っているが、限られた言葉でしか感情を表せない。それが『叫ぶ』『怒鳴る』といった短絡的な行動につながる」と、この公立高教諭は話す。
元々は隠語であった「ヤバイ」ですが、最近学生の間で簡単に飛び交う言葉になっています。まあ私も使うときもありますし、その言葉を使うなとも言いません。でも感想として「ヤバイ」の一言だけでは、他の人に自分の考えや感情を伝えることはできません。この記事の関連ブログ「為八のオフィシャルブログ「記者ブログ」にカツ!」に『▼「ヤバイ」は文化!』があって、そこには
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「ヤバイ」はとても便利な言葉だ。----------- 引用終了 -----------
肯定的な最上級にも使えるし、昔から使っている「ヤバイ」にも使える。
だからと言って、「別の言葉が使えない」、「語彙が不足している」とは言えるのか?
とあります。確かにそうなんですが、元となっている記事が舌足らずで、「ヤバイ」以外の言葉が使われなくなってきているから問題なんです。このブログの作者である為口八五郎さんが書いていることも正しいのですが、「ヤバイって、何がヤバイの?」と聞くと答えられない学生が多いことを知っている人からすると、やはり今の学生は語彙不足としか言えないんです。
記事では世田谷区の「日本語教育特区」について書かれています。最近、フジTVの「とくダネ」でも取り上げていました。この試みについては賛同するのですが、なんでそんなことをしなくてはいけなくなったのかという原因の追求が、今回のシリーズではそれほどなかったような気がします。唯一「核家族化が進み、家族や世代を超えた対話の機会は減っている。自治体が日本語教育を重視する背景には、コミュニケーション力低下への危機感もある」というのがそれに当たるのかも知れません。
今日は兄弟4人全員が実家に集まりました。そこには甥っ子姪っ子4人も一緒にいたのですが、遊ぶのはやっぱりゲーム。DSやPSPで遊びます。特に甥っ子2人はゲームに夢中です。おとなしくさせるには、ゲームというのは便利なものですが、本当にそれでいいんでしょうか!?。弟(甥っ子の父親にあたります)はwiiも持ってきて、みんなで対戦もしました。ゲームも必ず2人以上で対戦しながら、それをまわりが見守り、ゲームの結果なんかに口を入れる。これだったら、ゲームを介してのコミュニケーションが取れますから、まだ良いかなと思います。が一人で遊ぶタイプのゲームは、端から見てちょっと異様な気もします。
私の育った時・・・ということを言っても詮無いことです。過去と現実は比較対象には成り得ません。でもこのような現状を見ると、ゲームで子供一人遊ばせるというのは良くないのではないか、ゲームをするにしても時間制限を掛けないといけないのじゃないかと思います。そこで空いた時間で親子で話をすべきではないのかとも思います。
私には子供はいません。だから子供のことに口を出すなと言われるかも知れませんが、いないからこそ客観的に見られるのではないかと考えます。3回も日本語力についてブログに書いてきましたが、日本語力は小さいときからの会話によって培われるのではないかと思うようになりました。そこには親の態度も大きく影響します。親も忙しいときに、子供との会話を楽しむことはできないでしょうし、それを受け入れる余裕がないときもあるでしょう。でもそれを心掛けるだけでも違うのではないかと信じています。
なんか、最後は尻すぼみになったような気がしないでもないのですが、一応ここまでと言うことで。