IZAの記者ブログで有名な阿比留氏のブログ「国を憂い、われとわが身を甘やかすの記」に興味深いエントリーがありました。それが『「マスコミの誤報を正す会」の記者会見に行ってきました』です。内容はリンク先を読んでもらうこととして、この手の話ってネットの進化が大きく影響しているんだと感じましたね。阿比留氏自身、新聞記事としては大きく取り上げることができないから、ブログに書いたとあります。ネットに接していないほとんどの人たちはこういう記者会見があったこと自体知らないんじゃないでしょうか。
私自身、氏のブログを読まなければ知る術がないのですからね。
誤解を恐れずに書くと、自分たちの考える(間違った)方向へ誘導するために記事を書き、ニュースを報道しているとも言えるのではないかと。インターネットが商用利用できるようになった1995年以前は、マスコミの報道は正しいものなんだと、かなりの人が思っていたんじゃないでしょうか。当事者でなければ、どこが間違っているのか判りませんからね。ところが今はブログなどを通じて、市井の人たちの意見を見聞きすることができるのですから。
でもこういう報道に条件反射で持論を展開する人もいます。その例が痛いニュースに2つありました。一つが『「ネギで滑って骨折」 60歳女性、イトーヨーカ堂に300万円の賠償求め提訴』で、もう一つが『修学旅行で騒いだ生徒を、新幹線の中でスクワット300回させる→1人入院』です。これらの元記事が虚偽の報道とは言いません。でも確実に舌足らずなんですね。
例えば「ネギで滑って・・・」の元記事(もうリンクが切れてます)は、両者の言い分を取り上げていません。これがないと、どちらが正しいのか判らないですよね。でも2chのコメントを読んでみると、訴えた女性を非難する書き込みが大半です。多分以前の私だったら、「乱訴だろう」と単純に思ったでしょう。でも今はそう思わない。情報が足らないことが判っているからです。
もう一つの記事もそう。新聞報道だけでは足りないんです。これはテレビのニュースで扱っていたのですが、スクワットを300回させられた生徒の一人は、筋肉痛を通り越して筋肉が損傷している状態になったとのこと。そこまで記事に書かれていたならば、違った反応になったはずです。
まあ、一般人には記事・ニュースの裏取りは、なかなか難しいものです。とはいえ、マスコミが流す情報は、「すべてではなく不足分がある」という前提の元で持論を書かなくてはいけないと思うだけでも、かなり違ってくるはずです。
もっと話を飛躍させると、企業の広告宣伝活動にも影響してくるのではとも思います。正直に、不利な点を隠さない。ある場面ではそういうものも必要なんじゃないかと。