体罰の是非
人気blogランキングへ ←クリックプリーズ(みなさんの愛の手を)
痛いニュースからの話題です。『「いじめ許さん」 児童全員を平手打ちの体罰 辞表の先生、保護者が慰留』というものなんですが、こういう話になると必ず「体罰は禁止」と何が何でも反対する人たちがあらわれます。
じゃあ一体体罰って何だろうとウィキペディアで調べてみると、『体罰は、父母や教員などが、子供や生徒など自己の支配下にあると考えられる相手に対し、教育的な名目を持って、身体刑を加えることを指す。』とあります。ここでのキーワードは、1)父母や教員、2)教育的な名目そして3)身体刑というところですね。
私が小学生の頃は、比較的おとなしい児童が多かったのか、あまり体罰を受けたことはありませんし、頻繁にあったということもなかったです。とはいえ、1回だけ平手打ちを受けたことがあります。そのときは掃除をさぼって遊んでいたところ、(男の)先生が飛んできて、遊んでいた私たちを1列に並べて、平手打ちをしたんです。私にとって初めての経験だったんですが、まあ殴られても仕方ないかなぁとも思ってました。
この「殴られても仕方ない」という気持ちが大きいんじゃないかと思います。叱られるようなことをやっていたという自覚があるんですね。多分当時の子供はほとんど全員そう思っていたんじゃないでしょうか。
私には子供がいませんので間違っているのかも知れませんが、今の子供はそのような自覚がないんじゃないだろうかと思わざるを得ません。自分のやっていることは悪いことと思わなければ、なんで叱られるかという理由が思い浮かばない。また親も条件反射で、うちの子だけが云々・・・と。
体罰自体は明治時代から否定されていることですし、よっぽどのことがない限り、私も肯定するものではありません。が、敢えて体罰を行うことも必要なんじゃないかとも思います。この体罰、殴られるだけじゃないんですね。正座させたり、立たされたりすることも体罰の1つなんだとか。この後に、先生や両親がどれだけフォローできるかによって教育効果が違ってくるんだと思います。
例えば、男親が平手打ちをしたとします。その後に、ぶったことは謝りつつも、ぶった理由をきちんと説明し納得させれば、子供も自分が悪かったと反省する可能性は高い。でもそういうことがなければ、ただ単に殴られたことだけが記憶されます。そうなると悪循環が始まることになります。
今回の京都での事件(?)では、
1)担任の先生がいじめを見つけた
2)「次にいじめを見つけたら、児童全員を叩いて、先生も辞めると宣言
3)ところが、その後にからかっているところを見つけた
4)そこで、いじめられた児童を除いて、児童全員を叩いた
5)担任は校長に報告し、校長は自宅謹慎処分に。また担任は辞表を提出した
6)保護者のほぼ全員から辞職嘆願の署名が集まる
7)謹慎が解けたときに、担任は児童全員に謝罪
8)児童たちも泣きながら「私たちが悪かった」と謝った
という流れのようです。
最後の児童たちが謝ったことが大切だと思います。なんで叱られたのか、叩かれたのかを子供たちが理解できれば、次に同じような悪さをすることはほとんどなくなります。教育というのは、子供たちに理解させることだというのが良くわかります。
多分、この子供たちは何十年か後に同窓会を開くたびに、先生に叩かれたことを話題にすると思います。それは悪口でも嫌みでもなく、懐かしい「想い出」として語るんではないかと。
記事の最後に
-------- 引用開始 --------
教諭は採用4年目で、同小には今年度着任。校長によると、熱心でまじめな人柄で、子供のころに外見を理由にした嫌がらせを受けた経験があったという。
引野恒司・同市教育長は「学校に理不尽な要求をする保護者も少なくない風潮なのに、教諭の行為を熱意ととらえ、署名運動まで起きるとは驚いている」とした上で、「体罰の事実は事実なので、子供や保護者の心情を受け止めた上で適正に処分はする」としている。
河上亮一・日本教育大学院大学教授(教師論)の話 「教師として、職をかけてもやってはいけないことを示す覚悟も必要。児童や親にもその姿勢が伝わったのではないか。最近ではこういう先生はめずらしく、評価すべきだ」
森毅・京都大名誉教授の話 「熱心だから体罰が許されるという話ではない。教師が体罰をするなら辞めるしかないと思うし、保護者らはそれを非難するにしても支持するにしても、もう少し学校と冷静に付き合う手だてがあるのでは」
-------- 引用終了 --------
とあります。
痛いニュースでは森先生のコメントについて、非難するコメントがたくさん付いています。たしかに、字面だけを追えばそういう意見が出てくるのは当たり前のことです。でも裏読みすれば、校長や教頭という立場の人がもっとフォローすべきと言っているような気もします。
とはいえ、叱るだけでは片手落ちですね。正しいことをしたとか、きちんとしたときには「褒める」ことが必要です。いつも褒めてくれる先生が、悪いことをやったときには叱る。「良いことは良い、悪いことは悪い」を子供たちに判らせる。また、叱るときには感情的にならない。
これは子供たちだけでなく、人間みんなそう。上司として部下を持ったら、いつも心掛けなければならないことです。